きつかった・・・いや、まだきついけど。
そもそもこのブログを始めたのは鬱からの自分なりの治療のひとつで書き始めたのですが、この数か月の仕事ですっかり再発してしまいました。
なんとかここまで踏みとどまったのは精神薬のおかげです。
どうしようもなくネガティブな要因が心中でいっぱいになり、セミの声が
シネシネシネシネシネ・・・・・
と聞こえる日々でした。ようやく昨日位からそれは一応治まりました。
こんなことをブログに書くのはあんまり好きじゃないけど、そういう固定概念を壊そうと思い「雑記だろうがなんでもいいや!」と書いています。
そもそも私が鬱になったのは、ご多分に漏れず仕事のせい。
私は父が営む零細企業の自営業の息子として働いています。
祖父が始めた仕事で私で3代目。
斜陽産業であり、地域で50軒以上あった同業者は次々と廃業していき今や5軒程度。
多くの職業がそうでありましょうが、どんどん請負金額は下がっていくのに要求される内容はより厳しくなってゆく。もう限界だ。(何度もそう思って続けてきたけど)
こんな稼業だが、一度ほぼ廃業に近くなったことがある。私が入る5年以上前のことらしい。
もともと10人程度しかいなかった従業員はほとんど退職金を払い辞めてもらい(といっても全員60過ぎのパートの方)、父と父の弟・配送運転手・パート2人という体制にまで小さくし毎月赤字を出しながらやっていたらしい。
それが大きく変わったのが外国人技能実習(研修)制度だ。
うちが導入したのは今から20年以上前の話である。ココ大事。
ぶっちゃけて書く。
当時の最低賃金が600円台だったのだが、実習生(当時は研修生)の賃金は当時300円だった。
労働法違反・人権無視、批判してもらって構いません。
ただ、はっきりと事実は書いておきたい。
私が入社したのは初めて実習生が入って3年目の頃だったが
当時在籍していた中国人研修生達の顔は明るく、職場の雰囲気も非常に良かった。
賃金の時給300円は双方合意の上での来日であったし、それでも彼らは地元で仕事するより数倍の稼ぎを手にする機会を得ていたからだ。彼らは帰国後には中国で家が建つほどの稼ぎを得ることができた。
3年の仕事を終えた実習生が帰国する時は、社長達と涙で抱き合いずっと手を振りながら帰国ゲートを超えていった。
毎年次の実習生の面接で中国に行くと、今まで帰国した実習生達は、ほとんどのメンバーが空港に出迎えにきてくれて、面接を手伝ってくれて昼・夜と食事を共にした。
支払いまで「私たちがするから!!」といって聞かなかったほどだ。
ただし、10~20年前までの話である。しかし事実は事実なのだ。
ここまでは、お互いにWin-Winの関係であったことは当事者としてどうしても書いておきたい。
外国人技能実習制度に問題があることは私も同意している。
もちろん彼らが最低賃金に対する知識が無かったことを利用しているだろうことは間違いない。それが法律違反であることももちろん承知の上なので、正しかったとも思わない。
ただ、お互い利用しあっていた。それで双方幸せだった。それだけ。
しかし、当時は問題にならなかったその問題は当然どんどん膨らんでゆく。
外国人技能実習制度に対する世間からの批判がどんどん大きくなり(そりゃおおきくなるわなと思うけど)、当時は一円でも多く家族に送金するためにパンの耳を大事に食べるほどだった実習生達は、スマホを持ち(私よりも食費を使ってるんじゃないか?)と思うような状況に変わっていった。
その頃になると私は職場で社長の息子として、職務全般を任され、加えて同業他社の技能実習生達の招聘・管理書類を担当(技能実習監理団体監理責任者)させられていた。
ここから人生は一気に暗くなってゆく・・・。