本日、秋篠宮様眞子様が婚姻届を提出され皇室から離脱されました。眞子様ではなく、もう小室眞子さんとお呼びすべきですね。
秋篠宮様のポケットマネー(それも元は税金というのはちょっと違うと思っています)ではない、これ以上の眞子さんへ税金の使われ方だけは気になりますが、これ以上の詮索は一般人となられたお方なのであれこれ世間は口出しはすべきでないというムードが依然に比べてありますよね。良い流れだと思います。あとは旦那となった小室圭さんは、世の批判をバネに眞子様を必ず幸せにして欲しいと願っています。まぁ…いろんな疑念やらが付きまとうご結婚ですが…難しいですね。
ちなみに約2年前となる2019年10月22日、明仁現上皇様から、徳仁現天皇陛下へと即位礼正殿の儀が行われました。今日はその記事を再掲させていただきます。
「即位の礼」
徳仁天皇陛下の御即位を広く披露(ひろう)するための「即位の礼」が、2019年10月22日に国の儀式として行われました。
しみじみ平成が終わり、令和の時代が始まったのだなぁと想い、去りゆく「平成」に改めてお別れを伝えたいと思います。
(この記事は2019年5月1日の記事をリライトしたものです)
子供の頃、昭和に生まれた私は「日本」のことをあまり好きではなかった。
今、私は日本のことが好きだ。
平成は、私の日本に対する想いを変えてくれた時間だった。
昭和後期、私が小学校の頃。
なんとなく日本は他の国を侵略した悪い国であったという雰囲気があった。
原爆記念碑の「過ちは繰返しませぬから」という文も、日本のせいと受け取れた。
国旗である日の丸には、「日の丸弁当」という表現のようにあまりいいイメージは無かったし、
君が代も学校で歌うとなんだか暗いし歌いにくくて、「もっとカッコいい歌だったらいいのに」と思っていた。
キャプテン翼も読んでいたけど、スポーツで海外で日本人が活躍するなんて漫画の世界でもウソにしか思えなかった。
小学生当時、オリンピックなどの大会で君が代が流れると、
なんだか他の国の国家に比べて暗い曲だなぁと思っていた。
様々なスポーツの国際大会でも、実際に君が代を歌っている人はいなかったと思う。
(そりゃそうだよなー)と思っていた。
学校で君が代を歌う機会は時々あったけど、周りがほとんど歌っていないのから小声で余計歌いにくくて、何とも言えない気持ちだったからだ。
そんな私だったが、ある時変化が訪れた。
スポーツにまるで興味が無かった私だが、ドーハの悲劇を知ってから徐々にサッカー日本代表戦だけは見るようになった。
元は異国人だったラモス選手が日の丸を愛していることを知り
当たり前のように日の丸を扱っていた自分が恥ずかしかった。
日の丸―――。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。
国旗をシンボルとして、ラモスはたくさんの国民の想いを力に変えて死闘していた。
そしてその願いは日本を愛するラモス自身の願いだった。
産まれて初めて、国旗に対する想いを考えさせられた。
三浦カズ選手の有名な逸話で、こういう話を読んだ。
ある日韓戦の試合後、朝日新聞の記者が国旗、国歌斉唱の時に1人だけ胸に手を当てて声に出して歌うカズにこんな質問をした。
「韓国では日の丸や君が代には過去の軍国主義の象徴という意味もあるのをご存じですか」
するとカズはこう切り返した。
「自分の国の国旗や国歌に敬意を表さない人が他国に対して敬意を表す事ができますか」
ある時、カズを真似て大声で君が代を歌ってみて、初めて思った。
「あれ・・・?この感じ・・・。」
他の国歌のように高らかでもないし、陽気な曲でもない。
しかし実際に大きな声で歌ってみると、不思議と胸に響くこの感情は何だろう。
厳かでありながら、力強い想いが湧いてくる。
まさに日本という国を象徴する歌としてふさわしいのではないか。
国際試合の大会で、今では君が代を歌う選手が増えたことを嬉しく思う。
野茂や中田が道を切り開いていった野球やサッカーだけでなく
ラグビーW杯の決勝トーナメント進出、
男子バレーの西田選手のマンガ顔負けの弾丸サーブからの5連続サービスエース。
様々なスポーツで日本人が世界を相手に大活躍するなんて、昭和の当時には想像もできなかった。
軍隊を持たないはずの日本なのに、誰がどう見ても軍隊にしか見えない自衛隊。
昭和の当時は「自衛」という言葉のロジックに違和感を持っていた。
無理やりにでも軍隊を持つための大人のズルい言い訳にしか聞こえなかった。
あの頃よく口にした「君、自衛隊に入らないか?」というフレーズは、
どこかそんな自衛隊をコメディのネタにしたニュアンスで使っていたと思う。
小学生だった私は「現代に日本で戦争なんて起こらないよ」と安易に思い込んでいた。
しかし尖閣諸島をめぐる中国の動きをはじめ、北朝鮮ミサイル発射問題など
恐怖を感じた時になって、やっと国防のための軍事力を持つ必要性を理解できた。
無防備でいれば逆に侵略されないと思ってたのは、子供の安易な思い込みだった。
現実の外交手段では、相手は有利になるとなればなんでもやってくるのだ。
当たり前のことだけど、日本以外の国はみんな必死なのだ。
日本だけが「必死に自分の国を守る」ことをカッコ悪いように思わされてきた。
自衛隊。
震災に代表される大災害の際に派遣された自衛隊の活躍。
狭いビルの屋上に着陸するヘリパイロットの練度を見て、
日常から厳しい訓練によってその技術を培うことの大切さをひしひしと感じた。
今では自衛隊に対して敬意を持つようになった。
東日本大震災が起きて原発が爆発し、「日本という国が壊れるかも知れない」と恐怖した。
無くなってしまうかもしれないと感じて、初めてその大切さに気付かされた。
人間は影を見た時に改めて、光の存在を感じることができる。
あの日、すべての国民が感じたであろう恐怖によって
平和であった日本の尊さをくしくも感じるようになったのではないだろうか。
天皇陛下が被災地をまわられているお姿をニュースで見た時
根拠もなく何故か心が救われる想いがした。
陛下がいつも国民といっしょにいらっしゃるだけで不思議と不安が薄らいだ。
昭和の終わり頃、「天皇陛下万歳!」という表現は非常に危ういニュアンスで使われていた。
しかし平成が終わった今、天皇陛下に関わる報道を見ていると、ほとんどがポジティブなニュアンスで嬉しい。
退位された明仁上皇様のお姿を見ていると、自然に敬意と謝意が湧いてくる。
敬意とは、人に押し付けられるものではない。
自然に心から湧いてくるものこそが敬意なのではないだろうか。
まさに国家の象徴たる陛下にこれほど敬愛の念を持てるということは幸せなことだと思う。
きっとそのお姿をずっと目にされてきた徳仁天皇陛下も、我々国民にとって素晴らしいお姿を見せてくださると願う。
「平成」にお礼を伝えたい。
やっと自分の国を愛せるようになったのだから。
(この記事は私の個人的な思いを綴ったものであり他人に思想を押し付けるものではありません)